「イスラム国への兵士最大供給国」の再スタート  新生チュニジアへ 挙国一致内閣成立

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 「アラブの春」と呼ばれる民主化運動の発端となったチュニジアの「ジャスミン革命」から4年、そのチュニジアで挙国一致の内閣が成立し、民主政権への以降プロセスが完了しました。

【イスラム国への最大の兵士供給国】

 チュニジアでは、革命後治安の悪化から、観光客の減少などにより経済が低迷してきたほか、今まで独裁政権の弾圧により抑制されてきた過激な思想も広まるようになり、イスラム過激派の活動が活発化、イスラム国への兵士流入数は1500~3000人とされ、最大の兵士供給国と言われています。

【挙国一致の新内閣発足】

  新内閣には、第1党の世俗派政党と、第2党のイスラム政党が参画、革命移行対立が続いてきた両者が「国難に対応するため」と妥協が成立した結果、挙国一致の連立政権を発足させました。
 アラブの春の影響を受けたほかの国で混乱と紛争が続く中、独裁体制から民主的な体制へ移行を果たす唯一の国となります。

 チュニジアは、もともと教育水準が高く政教分離や女性の社会進出など、世俗的な考えが受け入れられていて、民主主義の下地があった国といえます。
しかし、民主化への期待がその後、経済の悪化等により失望に変わった事が、過激な思想が広まる結果になったとも言われています。
 新政権には、挙国一致の政権が出来たことにより、治安の回復や経済の再生に成果を挙げ、国が安定に向かう事が期待されています。
 これ以上イスラム国に感化される若者を減らすためにも、希望を抱いて民主化革命を求めた若者に本当の希望を与えることが出来るのか、イスラム国による人質殺害事件が起きた日本としても、今後注目していく必要があると思います。

これまでの経緯

  • 2011年の「ジャスミン革命で」ベンガリ政権崩壊
  • 同10月、新憲法制定のための議会選挙で、イスラム政党勝利
  • その後、イスラム系の与党勢力と世俗派の野党勢力で激しい対立、
  • 20013年には、2人の野党指導者がイスラム過激派に暗殺される事件も発生
  • 2014年1月、話し合いと妥協により政教分離等を盛り込んだ民主的な憲法が制定される
  • 同年10月、議会選挙の結果、世俗派政党が第1党になり、それまで与党のイスラム政党は第2党になる
  • 同年12月、大統領選挙で世俗派のカイドセブシ氏が勝利
  • 昨日、議会での第1党と第2党による挙国一致内閣成立

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